編集プロダクションから出版社へ。
そして出版社から次の業態へ……。
実務内容は変わっても、
「どんな仕事も決して妥協しない」
というポリシーは変わりません。

 
■沿革
1989年 05月
  代表者である岩佐徹が、武蔵野美術大学在学中にデザインプロダクションとしてクリエイティブ・カラットを創業(東京都小平市)。
1990年 12月
  【株式会社クリエイティブ・カラット】として法人登記。本社所在地を東京都中野区とするのと同時に、 主たる業務内容を雑誌の編集制作に変更。主なクライアントはリクルートで、この後「じゃらん」「フロムエー」「ガテン」「あるじゃん」など、主にリクルートの情報媒体の特集記事を手掛ける。
1994年 02月
  【株式会社カラット】へ商号変更。
1995年11月  

将来、出版社へ業態転換する布石として、広告部のノウハウを社内に蓄積するために、100%子会社の広告代理店、【株式会社創研エージェンシー】を設立。JAF出版社、旅行読売出版社など、旅行関係の雑誌広告を扱う。

1999年 05月
  本社所在地を東京都中央区八丁堀へ移転。
11月
  設立10周年事業として自社刊行雑誌の発刊体制に入る。
『自遊人』創刊までに編集制作を行ってきた雑誌は、リクルートの各媒体のほかに「東京ウォーカー」「横浜ウォーカー」などのウォーカー各誌(角川書店)、「saita(芝パーク出版)」「温泉スーパーリゾート(スターツ出版)」「クチコミ旅情報(旅行読売出版社)」「東京1週間(講談社)」「夢田舎(バウハウス)」等。
2000年11月
 

発行部数5万部で『自遊人』を創刊(季刊)。創刊号は瞬く間に完売。以後、発行号の2号に1号が完売、毎号部数を伸ばしていく。

【株式会社創研エージェンシー】を【株式会社クラリティ】に商号変更。業務内容を広告代理店業務から編集プロダクション業務に変更。【株式会社カラット】で行っていたプロダクション業務を大幅縮小しながらも一部を継承。カラットは出版社に業態転換。【株式会社創研エージェンシー】の行っていた広告代理店業務は自遊人広告部に業態転換、【株式会社カラット】に移管。

2001年08月
  類誌が次々と創刊、各誌ともに大苦戦する中で、『自遊人』の発行部数は10万部を突破。コンビニエンスストアでも販売を開始。
2002年05月
  『自遊人』の発行部数が15万部を突破したのを期に隔月刊化。
2002年06月
 

【株式会社クラリティ】を【株式会社自遊人倶楽部】に商号変更。13年間に渡り行ってきた編集プロダクション業務を終了。と同時に、自遊人と連動した通信販売を開始。“国産原料・無添加”“昔ながらの食材・製法”“市場に流通しない幻の逸品”をキーワードとして、さまざまな商品開発を行う。

自遊人倶楽部の大テーマは“食料自給率の回復”と“農家など生産者の復権”。農業に真面目に取り組む農家や、醤油や、味噌などを真面目に作る人々に、もっとスポットライトが当たるように。そしてそんな生産者を目指す人々が増えるように。ささやかな、ささやかな活動です。

10
  臨時増刊号『温泉図鑑』発刊。完売。
2003年04月
  臨時増刊号『安全な「食」図鑑』発刊。
10月
  別冊『温泉図鑑2004』発行。完売。
2004年04月
  別冊『温泉図鑑・初夏』発行。完売。
06月
 

本社所在地を東京都中央区日本橋兜町へ移転。と同時に、「高品質」でかつ「持続可能」な雑誌づくりを実現するために、新潟県南魚沼郡湯沢町に編集部の移転を開始。5名の編集部員のうち3名が東京から引越、勤務を始める。この構想は当時「保養型編集オフィス」と呼んでいた。

※保養型編集オフィス  従来、企業の保養所というのは、休日に利用するものですが、その保養所に業務に必要なすべての機器を揃え、平日も休日も利用してしまおう、という自遊人らしい(?)考え方。東京で「悪い空気を吸って」「添加物だらけのエサを食べて」「通勤電車に乗って」「高い家賃を払って」「あくせく働く」のではなく、緑豊かな地で「美味しい空気とご飯を食べて」「毎日温泉に浸かって」「天気のいい日は早朝にスキーをして」でも仕事は「バリバリする」という形を目指しました。なお、この考え方の詳細についてはこの記事を参照。

09月
  別冊『温泉図鑑・秋』発行。
11月
  別冊『カニ大百科』発行。
12月
  別冊『温泉図鑑・冬』発行。
2005年3月
 

【株式会社自遊人倶楽部】の売上高が前年比200%を達成。

自遊人倶楽部は他の雑誌が行う通信販売とは大きく異なり、自社で商品開発を行い、なおかつ自社で倉庫・物流システムを持っているのが特徴です。

2006年1月
 

越後湯沢にあった編集分室を閉鎖し、自遊人編集部、自遊人倶楽部を南魚沼市に全面的に移転。

延床面積300坪超もある建物内には編集部があるほか、玄米を保管する低温倉庫、味噌や調味料を保存する冷蔵庫、物流倉庫、コールセンター等があります。雑誌作りも本気ですが、食品の通信販売も本気です。なお、編集部、自遊人倶楽部の移転に伴い、東京本社を東京駅から近い日本橋一丁目へ移転しました。

※「なぜ自遊人は月刊化しないのか?」。この質問は出版関係者からもよく聞かれる質問です。その答は「一冊、一冊をしっかり作りたいから」。自遊人は編集者が記者となって、全国を駆けめぐります。昔はアタリマエだったこの編集記者制も今では風前の灯火で、編集者は机に座っている時間がほとんど。それによって業務は効率的になりましたが、“何か大切なもの”を失ってしまったような気がするのです。カラットが『自遊人』を創刊したのも、そんな現状に大きな疑問を感じたから。だから自遊人編集部にはこんな3原則があります。「どんなに仕事が大変でも妥協せず、給料が安くても我慢して、そのかわり取材費はケチらない」。つまりこの3原則に共感してくれる編集者が増えれば月刊化は可能、というわけです(そんな奇特な編集者はめったにいませんから、現状としては無理ですが)。

法人登記のきっかけとなったのがこの「Kiッカケ」。リクルートが創刊することになった学生向けフリーペーパーの全ディレクションと原稿執筆等を任され、一気に売上が急増。デザインの仕事より雑誌編集の面白さにはまり、業態を編集プロダクションに変える(このKiッカケのデザインはカラットではなく、当時フロムエーのアートディレクションをしていた会社で行われていた)。この「Kiッカケ」は数年間続いたが、それにしても、当時学生の集団だったカラットにすべてを委ねるなんて、当時のリクルートは恐ろしく太っ腹。リクルートのこのフリーペーパーが創刊しなかったら、カラットもなかったのだから、まさにリクルートは会社の生みの親。
 
 
「Kiッカケ」をきっかけに、リクルートの様々な事業部からも仕事をいただくようになる。気がつけば、下のイラストレーターのプロモーション事業も含め、リクルート発行のほぼ全媒体となんらかの取引をするようになっていた。
 
1991年頃から雑誌編集の業務とはまた別に、新進イラストレータの発掘とプロモーションを手掛ける。出版社や広告代理店にイラストレーターを売り込むだけでなく、イラストレータによるイベント等も提案。左上はある地域のイベントで行われた子供との共同イラスト制作。左下はあるパビリオンをイラストレーターがディレクションするという試み。なお右下は当時の会社内に併設していた作品展示のためのギャラリー。ただし93年頃から景気の極端な悪化により、この手の仕事が急減。残念ながらギャラリーも閉鎖、最終的に96年にはこの事業から撤退。
 
1992年頃からリクルート発行の媒体以外の雑誌制作を手掛けるようになる。もっとも多く手掛けたのが「Tokyo Walker」等、ウォーカーシリーズの特集制作。その後「東京1週間」創刊後は、主に1週間の特集制作を手掛ける。この編集プロダクション業務は2002年まで続く。
 
雑誌編集のかたわら、手掛けていたのが、いわゆるPR誌やカタログ制作、パンフレットの制作など。このジャンルの仕事は現在も継続中。印刷物やネットの発注担当者の皆様、ぜひ当社にご発注を。
 
創業時から「いつかは出版社に」が合い言葉だった会社が、10年の準備期間を経て、2000年11月、「自遊人」を創刊。創刊のもうひとつの理由は、「出版社にいる編集者のサラリーマン化」で、編集プロダクションとしては仕事がなにしろつまらない。内容の善し悪しより入稿時間の的確さを求められる仕事など、楽しいわけがない。編プロの魅力は「給料がどんなに安くても、休みがまったく取れなくても、仕事だけは楽しくてやりがいがある」こと。それが崩れたのだから、下請けとしてのカラットは、別な道を模索するしかなかった。
 

2002年6月から食品の通信販売をスタート。今後は事業の主力を、通信販売事業など、他の事業に移していく予定。

 
 
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